頼清徳と2024年台湾総統選の行方

台湾

台湾の民進党は昨年の11月27日の統一地方選で大敗しました。その責任を取って当時の党の主席である蔡英文総統が主席の職を辞任しました。そしてその辞任後に、党主席選挙に立候補した人はたったの1人です。それは副総統である頼清徳でした。党主席の選挙は2023年の1月15日に行なわれて、結果としては、当然立候補は1人だけだったのですから、頼清徳副政党が民進党の主席に選ばれました。その時の得票率はなんと99.65%。1人だけの立候補ですから、当然と言えば当然です。投票率は17.95%でした。この投票利率が極めて低いのも当然のことです。投票する前にもう結果は分かっているわけです。よっぽどの熱意がないと投票には行きません。しかも1政党の選挙ですけれども、全台湾で投票できるところはけっこう限られているわけです。全員が投票できるというわけではありません。そういうこともあり当然投票率は低かったんですけれども、頼清徳副総統が党の主席に選ばれて、新たな出発になったということです。当然2024年の総統候補もほぼ、彼に決まるということになります。党は地方選に大敗した後、勢いがかなり失われました。その党勢はどうやって立て直すのか。これも彼の最大の責任ではないかと思います。頼清徳は2024年の総統候補に選ばれると、台湾のこれからのリーダーになり、非常に重要な人物ということで、ここで頼清徳とはどういう人物なのか簡単に紹介したいと思います。

彼は1959年の生まれで、僕より1つ年下ですけれども、非常に貧しい家庭の出身です。彼のお父さんは炭鉱夫でした。炭鉱夫というのは、家庭が裕福とは言えないですよね。もっとひどいことに、彼が2歳の時に炭鉱事故でお父さんをなくしてしまったわけです。つまり片親です。彼は6人兄弟で、母親と6人の子どもで生活していました。母親も本当に大した仕事もできないで、あちこちで人を手伝ったり、何とか生計を支えてきたという感じです。非常に大変な家庭の出身でした。しかし頼清徳は学業にしても、その後の職業にしても、恐らく本人の努力もあったのでしょうけれども、かなり順風満帆でした。彼は僕と同じ高校の出身です。台北市の建国中学、中学という名前ですけれども高校です。建国中学の出身で、学年も僕より1つ下、つまり2年間だぶっていたんですが、生徒はかなり大勢いますので、すれ違っていたかもしれませんけれど、会った記憶はありません。その後彼は台湾大学のリハビリ学科に入学しました。台湾では当時、大学卒業後の医学部があありました。学部は最初から医学部ではなくて、別の学科の卒業生が4年間だけ卒業後に行く医学部があるんです。大卒後の医学部があって、彼は成功大学の学士号を持った人間が入学できる医学部に入りなおして、内科医になりました。恐らく極めて優秀な人間だと思います。後にハーバード大学で修士課程を経て、台湾に戻り、台南市の病院に勤めました。数年後の1996年に彼は政界進出をしたわけです。一番最初、彼は国民代表に選ばれました。国民代表とは何か。当時は李登輝時代で国会は2つありました。2院制で1つは国民大会、もう1つは立法院です。今は立法院しかありません。その国民大会は何をやるかと言うと、役割は基本的に2つです。1つは総統を選ぶ。つまりその時は直接選挙ではなくて間接選挙でした。台湾の国民の1票1票で選ぶのではなくて、国民代表が総統を選ぶシステムでした。もう1つの権限は、憲法の改正です。憲法改正の権限と総統を選ぶ権限。それ以外の政策の予算を審議するとかは立法院の権限でした。だから国民代表はそれほど権限がないと言えばそうですけれども、憲法の改正と言っても、総統選挙と言っても、基本的には背後の党組織の命令通りにやらなければいけないということなんですから、ある意味で投票部隊です。そして彼は2年間の国民代表に選ばれて、それからすぐに立法委員に鞍替えをしました。立法委員の方がかなり権限を持っていて、いろいろな質問をするとか、調査権を持っているんです。彼は連続4期当選しました。負け知らずです。この件においてはすごいですね。そして実は2010年に台南市の市長選に立候補しました。それもものすごく高い得票数で圧勝でした。その次の4年後の再選でも、彼は本当に台南市の史上最高の得票率、72%で2期目の台南市長に当選しました。台南市長の任期中の2017年、その時は蔡英文総統の1期目で、2017年の9月8日に蔡英文総統に行政院長(首相に相当)に任命されたんです。ところが彼は行政院長、つまり首相になったのは1年ちょっとですけれども、翌年の2018年の11月に行なわれた台湾の統一地方選でも民進党は大敗しました。その責任を取って、翌年の2019年の1月に彼は辞任したわけです。しかし、責任を取って辞任した後に、総統予備選で現職の総統である蔡英文総統に挑戦してきたわけですね。今までであれば、現職優先です。現職の総統が次期総統選の候補になるというのは、ほぼみなの常識だったのです。しかしその時は民進党の党勢はかなり落ち込んでいて、蔡英文の支持率もかなり落ち込んでいた。その時彼は手を挙げて、蔡英文総統と総統候補のポストを争ったわけです。その時争った結果が、恐らく今回の地方選挙まで尾を引いていたのではないかと思います。2020年、蔡英文総統は、当時の予備選で負けた頼清徳を副総統候補のポストに就けて、一応団結の印として一緒に総統選を戦いました。しかし支持者たちはそうは思わないですね。そのわだかまりはずっと尾を引いてきたわけです。そのこともあって、結局2022年11月26日の地方選で大敗したこの原因、一番根底の原因はそこにあったんですね。つまり蔡英文の支持者と頼清徳の支持者がお互い団結できなかったんです。内部の内輪揉めです。その内輪揉めのために、みんな一致団結して地方選に臨むということができませんでした。そこが最大の原因です。それ以外にいろいろ言われている住宅問題とか、若者の問題とか、選挙戦の問題などは、一番の根っこの問題ではありません。一番根っこの問題というのは内輪揉め。その内輪揉めの主役としては、蔡英文の支持者と頼清徳の支持者。地方選の位置付けというのは、蔡英文の選挙になってしまったわけです。もちろん蔡英文にも責任があったと思います。どういう責任かと言うと、人選びの時は、自分の取り巻きに任せっきりだったんです。だから蔡英文の取り巻きが全部主導していたわけですから、頼清徳の支持者、頼清徳の陣営からすれば、面白くないわけです。それによって大敗した。しかし、大敗した後に、党内ではいろいろな反省の声があって、少なくともお互いの支持者の間では、何としても団結しなければいけないという危機感がそれなりに高まってきています。そういうことはいいことです。副総統というのは、ポストこそ高そうに見えますが、何の権限もありません。副総統の役割とは何か。副総統の役割とは、総統が亡くなってしまえば、副総統が総統になる。それだけ。それ以外は何の仕事もありません。あるいは総統が自分では外国訪問できない時に、代わり行くこともあります。実際、頼清徳は中南米を訪問したことがありますが、それはあくまでも蔡英文総統の名代として行くわけです。自ら自分の存在感を示せるという場面でもありません。頼清徳は最後の2020年の総統選の前後には、蔡英文総統とちょっとぎくしゃくしていました。その影響もあって、今も両方の関係は極めて良好とは言えません。だから地方選に負けっちゃったわけです。頼清徳の経歴をざっと見てきました。

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