台湾社会に与えたインパクト

台湾

藤井:それでは、今日の第3セクションCを進めていきたいと思います。この事件が『台湾社会に与えたインパクト』ということで、お話しいただきたいと思います。

林:この連載は翌日にはそのまま翻訳されて、台湾の最大紙である自由時報に掲載されました。それで、台湾は大騒ぎになりました。1日目は最もウソが多い記事だったと思いますが、〈それでも中国が好きだ〉という1日目の連載のなかで特に問題視されたのは〈台湾軍OBの9割が中国に渡って情報を売っている。そして腐敗している〉という部分です。台湾人はこの部分にショックを受けました。台湾人がショックを受けた部分はいくつかありますが、親日派あるいは知日派が最もショックだったのは日本のイメージが完全に覆されるような内容だったことです。台湾は親日派がおそらく8割以上を占める国。そして台湾人に日本に対するイメージを聞けば、真っ先に誠実さという答えが返ってくるでしょう。それぐらい親日派が多いと思います。日本にはNHKなどマスコミに対して警戒心を持っている人は少なからずいると思いますが、台湾人は日本のマスコミに対する警戒心はほぼゼロと言ってもいい。それなのに、今回の日経の連載はそのイメージとは真逆、まさに対照的だった。台湾人は、まさか日本を代表する大マスコミの中身が親中国的かつ反日的だとは思いもしません。しかも日本経済新聞社は日本という名前を冠しています。台湾人の多くは、日本経済新聞社というのは非常に大きな媒体で、中立的な立場で客観的に報道しているマスコミだという認識を持っていました。

藤井:はい。

林:客観的であるはずの日経新聞がこのように台湾のことを歪曲して、捻じ曲げて書いているということにショックを受けたわけです。しかも明らかに悪意が感じられるじゃないですか。

藤井:悪意そのものですね。

林:だから親日的な台湾人は最初に裏切られたという印象を抱いたのではないかと思います。あの連載は明らかに中国寄りの記事で、台湾に汚名を注ぐものだった。そして台湾軍の存在を貶すような記事でした。「日本人は誠実なのに、なぜあのような記事を書いたのか」という驚きが台湾人の心情だったのではないでしょうか。

藤井:はい。

林:非常におもしろい反応もありました。僕には親日派あるいは知日派の大学教授とかの知り合いが多いんですが、そのようにショックを受けた一方、表に出てきて反論するようなことはしなかった。激しく抗議しているのは、別の人たちです。

藤井:はい。

林:台湾では日経の連載について1週間以上もテレビで討論されています。台湾人はすごく飽きっぽい人たちが多く、一つの話題が長続きすることはありません。しかも台湾は政治的な変化が非常に早く、アメリカやロシア、それからウクライナなど国際的な情勢にも興味津々な人たちが少なくない。そういうなかで日本のことが1週間以上もテレビ討論されるということは基本的にはなかったのに、今回ばかりは長く続いています。テレビ討論を見ていると非常におもしろい現象が一つあって、なぜか台湾人が日経のことを一生懸命に理解しようと必死になっていることです。「日経にはちょっと言えないような何らかの事情でもあるのではないか」とか、知日派ほど日経のことを庇っているように僕には見えました。

藤井:なるほど。

林:一方、激しく反応しているのは反日派の人たちです。「ほら、見たことか」と言ってみたり、逆に「日経が指摘しているように台湾は腐敗しきっている」と日経に賛同するような意見を述べたりしています。しかしながら日経に最も激しく抗議していたのは親中派でしょう。例えば日経台北支局に汚物を撒いたのも、大使館代わりの日本台湾交流協会の前に集まって抗議活動したのも、いずれもガチガチの親中派です。彼らは日経が〈台湾軍OBの9割が中国に情報を売っている〉と台湾軍を侮辱したことに怒っていて、抗議しています。今回の件は、実は台湾の国会でも取り上げられました。台湾国防部の部長のほか、退役軍人行政を所管する退輔会の委員長という閣僚2人も非常に怒っていて、日経の連載記事について国会で聞かれた際には「これには強く抗議しなければいけない」と答えました。さらには台湾総統府もこれについて発言しています。マスコミの連載記事に台湾の最高レベルが発言するということは、異例中の異例です。もちろん台湾のことをボロクソに書いている記事は他にもあります。ただし今回は日経が書いたということ自体、インパクトが大きかったということでしょう。

藤井:なるほど。おもしろいですね。私は支局に汚物が撒かれたという事件を見て、これは絶対に反日派がやったんだなとすぐに思いました。親日派の人たちは本当に怒っていたとしても、そのような行為に及ぶことはないでしょう。親日派の人たちはそういう変な抗議はやらないと思っていました。

林:やりません。逆に親日派は心配しています。この件が1週間以上もテレビ討論されて、実は新聞にたくさんの投書が載りました。僕がそれなりの投書を読んでみたところ、意外と日経に対する批判が少ないことに気づきました。では、どんな声が最も多かったのか。「たとえ日経が誇張して書いたとしても、一部とはいえ、台湾にこのようなスパイ行為があったことは事実だ。我々自身が反省しなければいけない」という意見が圧倒的に多かったわけです。

藤井:あー。そうでしたか。

林:そして「法的に不備があるんじゃないか」とか、「スパイを摘発しても、たいした罪にならないからスパイ行為が後を絶たない」とか、親日派はそのように議論していました。もちろん少数ですが、軍のなかにそういう人たちが実際に存在していたことは確かです。日経の9割は言い過ぎ、たとえ1割でも言い過ぎだと思いますよ。おそらく0.0何%ではないでしょうか。実際に軍OBの代表的な人物がスパイに手を染めていたということがありました。60代から80代の人たちのなかには親中派もいます。そういう年配の外省人がOBになって、中国と交流していたことが実際にあったことは間違いない。日経の連載の1日目に、50代の父親が軍に入隊した息子に「情報を出せ」と協力を求めたところ、息子に断られたというエピソードが載っていました。この部分は今の台湾社会を象徴しているように思いました。50代の父親が国を売るというのは誇張ではないだろうか、その人物が本当に存在しているのだろうかと疑問に思いましたが、これがもし80代の父親であれば本当かもしれないと思ったところです。

藤井:なるほど。

林:ただし現役の台湾軍に所属する若者が国を売るというようなことは決してないと思います。もしかしたら、そういう若者が一部いるかもしれませんが、それは社会のなかに犯罪者がいるというような感じであって、それで社会全体に犯罪者がたくさんいるということにはならないでしょう。どんな社会にも犯罪者はいます。しかしながら、その犯罪者がその社会を代表しているのかといえば、それはまた意味がまったく違うのではないでしょうか。だから、ある意味で日経の連載に登場した息子さんの反応そのものが台湾人の正常な反応だと思います。ただ台湾人もスパイ問題が存在していること自体は問題だから、この機会を使って徹底的に見直す必要があると考えているようです。

藤井:なるほど。

林:そういう意見が圧倒的に多かったと思います。

藤井:あー。そうですか。

林:はい。もちろん日経批判の意見はありますが、極めて少数だと感じました。日本在住の台湾人社会は日経を批判しています。それは台湾人の名誉を守りたいと考えているからです。一方、台湾に住んでいる台湾人はそれほど批判しないものの、物凄くショックを受けているのは事実です。台湾人は日本のことになると、なるべく批判したくないという思いが先行します。そして日本のために言い訳を探してあげているというのが現状だと思います。

藤井:あー。なるほど。

林:そういう心理は分からなくもない。台湾にとって日本は先生だからです。たとえ自分の力がかつての先生より強くなっていったとしても、あるいは自分たちに教えてくれたことを先生自身が守っていなかったとしても、自分の夢を壊したくない、先生のイメージを壊したくないと思ってしまうものです。台湾人の日本人に対するイメージは何なのかというと、誠実、真面目、ウソを付かない。そして台湾に愛情を持っているというイメージを抱いています。まさか自分が尊敬してやまない先生が自分を傷つけたり、自分を侮辱したりするようなことをするとは思いたくない。もし先生がそのようになってしまえば、自分まで汚れているように感じてしまうからです。

藤井:その心理は分かります。

林:だからこそ、多くの台湾人が「これは日経の老婆心で、台湾のためにやってくれているんだ」と解釈したいと思っています。僕からすれば、日経が台湾のためにやってくれているとはとても思えませんが、台湾の人たちはそのように解釈したがっているということです。台湾で翻訳されたのは1日目だけで、それ以外は台湾のマスコミで紹介されることもなく、1日目から4日まで全部を読んだのは日本に特別な関心を持っている人だけでしょう。そういう人たちのなかには論評を書く人もいました。基本的には厳しく批判していたのは、いずれも親中派の人たちです。日経が〈これからも台湾は中国一辺倒だ〉と台湾があたかも親中国的な社会であるかのように表現しているのに、批判するのは親中派ばかりだった。

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