中国の白紙革命でわかるもの

台湾

中国では白い紙を持って抗議をする。コロナ対策に対して抗議の意を示すといういわゆる「白紙革命」が今起こっているわけです。この件については日本のマスコミでもかなり多く報道されていますので、その経緯は大体、皆さんはそれなりに分かっていると思います。ここでは、やや別の角度でこの件について皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

簡単に振り返ってみると、この白紙革命はどうやって起こったのか。引火点としてはまず11月24日の夜です。ウイグル自治区のウルムチ市にある高層ビルで発生した火災です。夜の7時頃に起こった火災なんですけれども、高層ビルの15階で起こった火災は21階まで延焼し、鎮火するまでは3時間近くかかったということなんです。しかし、それよりも問題なのは中に閉じ込められている人間が外に出られないような状態だったんです。なぜかと言うと、中国のゼロコロナ対策のせいです。封鎖対策、ロックダウンの場合は、どこまでやるかと言うと、全てのビルの非常口あるいは出口に溶接して開かないようにする。もしくは鉄のチェーンでロックする。内部から開けられないようにするということなんです。結果として44名の犠牲者が出ました。中国の公的発表としては犠牲者は10名。10名と44名とずいぶん違います。これにも一つ中国的な要素が入っています。なぜかと言うと、中国では犠牲者が10名以下であれば、地方自治体で処理できる。10名から30名の間であれば、自治体の上の省、もしくは自治区、日本で言えば県レベルで、処理しなければいけない。30名を超えると国が処理しなければいけない特別重大事故ということ。自治体の中で処理できれば、当然、自分(自治体)の責任追及があまりされないわけです。もっと上の方の省のレベルにいくと、自治体がやっぱり責任追及されるわけです。さらに省の上、国のレベルに行くと、今度は自治体も省のトップも責任追及されるわけです。中国の場合は、できるだけ犠牲者の数を過少報告するわけです。10名であれば、ウルムチ市の市レベルで処理できるような状態になるわけですから、自分の責任追及はされないで済む。だから犠牲者は10名にしたんです。この11月24日の火災による犠牲者44名の中に小さい子どももいたんですけれども、彼らが死んだのは、逃げ遅れたというよりは逃げられない状態にされたからです。彼らの最後の叫び声はどういうものかと言うと、「開けて、開けて、開けて」という叫び声です。本当に凄惨な最期でした。誰から見ても本当に生き地獄のようなものです。

このことはウイグル・ウルムチ市だけではなくて、中国の全国、ロックダウンされているところはほぼ共通したやり方なんです。ウルムチ市の人々は翌日の11月25日にウルムチ市役所を包囲して、ロックダウンを解除せよという抗議デモを行ないました。実はウルムチ市のロックダウンは全面封鎖が100日に及んでいたんです。ところが、ウルムチ市は抗議デモを受けて、なんとその日のうちに、「コロナはもうなくなったから、もう解除していいよ」と発表したわけです。デモを受けて解除したのが事実ですが、口実としては、「100日間ロックダウンをして、ウィルスに感染する危険性はもうなくなったから解除する」と。これはウルムチ市の人間から見れば、「では今までの3カ月間、100日間とは何だったのか」となります。これほどの犠牲を出さなければ解除しないのかと。その翌日の11月26日、上海の烏魯木斉(ウルムチ)路、上海の中央に細長い商店街があって、その商店街の名前というのは烏魯木斉路、つまりウルムチ通りがあります。そのウルムチ通りに犠牲者を追悼するために、何人かがロウソクを灯して花を手向けました。本来、中国人は他人の不幸には無関心です。無関心どころか、他人の不幸を楽しむという素性があるわけです。ですから自分と全く関係のない犠牲者を追悼するという傾向は今までありませんでした。
だけれども、ウルムチの44名の犠牲者のためにささやかな追悼をやったわけです。そこから発展したのがこの「白紙革命」です。

ではなぜ彼らがそれを追悼したのか。非常に簡単なことです。ウルムチで発生したことは自分にも起こりうるということです。実際、上海市では4月から2カ月間ロックダウンされていました。その2カ月間のロックダウンでも似たような状況に置かれた。実際、その中で飢えて死んだ人もいる。医者にかかれなくて死んだ人間もいる。火災が発生した場所もありました。ただしこれほどの大規模な火災ではなかったということだけであって、うやむやにされた。しかしこのことについて、上海市の人間が「明日は我が身」という危機感を持って、追悼式をやったんです。ほぼ同時に北京の清華大学で、ある女子学生が白い紙を持って、大学の食堂の前に立ちました。何も言わずに立っていたんです。無言の抗議です。無言の抗議というのは、紙には何も書かれていないし、白い紙を持っているだけ。最初は一人、それから四人の女子大生が一緒に立って、最終的には数百人くらい集まったんです。そしてその中でスローガンを叫んだりしたわけです。とうとう、上海でも同じようなことが起こった。その上海で叫ばれたスローガンとはどういうスローガンか。実はそれは10月の13日、第20回中国共産党大会(開幕)の3日前に、台湾ボイスでも紹介したことがあるんですけれども、北京にある四通橋に横断幕をかけたこの彭立発です。その横断幕のスローガンです。そのスローガンの「不要封控」という意味は「閉鎖は要らない」、「我々が要るのは自由だ(要自由)」というもの。「自由が欲しい」。今度はその10日後、10月23日に上海の襄陽北路というところ、上海市内で二人の若い女の子が、横断幕を持って練り歩きました。二人だけです。二人だけ横断幕を持ちながら歩いたんです。その横断幕の中に何が書かれていたかというと、「不要」と「要」だけ。それ以外は空白なんですね。これはつまり、「不要」の下に、誰もが知っている「封鎖は不要」。「要」とは何か。自由が欲しいということです。そして11月26日の白紙革命の発端となった清華大学での白紙抗議。それから一気に中国全土に広がりました。いわゆる「白紙革命」とは、何にも書かれていないA4のコピー用紙を持つだけ。なんと中国の中だけでも、162の大学が連帯して、そして北京・上海・成都・重慶・武漢・広州・杭州など10以上の大都市で「白紙革命」が起こったわけです。この一連のことは、恐らくみんなが関心を持っていることは、この白紙革命に対して、習近平政権はどう反応するか。一気に鎮圧するのか。あるいは妥協するのか。これは一点目ですね。

二点目は、皆が関心を持っているのは、この「白紙革命」は果たして本物の革命になっていくのかどうか。実際、習近平は第20回中国共産党大会の前に中央アジアを訪問して、ウズベキスタンで上海協力機構会議に参加して、そのサミット会議でこう発言しました。「我々が絶対に阻止しなければいけないのはカラー革命だ」と言っているんです。カラー革命とは何か。カラー革命とはチュニジアで発生したジャスミン革命とか、ウクライナでかつて発生したオレンジ革命、あるいは香港で発生した反政府デモの黄色い傘を持つ雨傘革命とかです。それらはカラー革命といいます。ではカラー革命とはどんな意味なのか。カラー革命とは民衆レベルで自然発生的に起こった反政府運動。そのカラー革命を「絶対に阻止しなければいけない」と複数回、習近平は言ったわけです。ある意味で、この民衆による運動を恐れているということです。では、これから習近平の対策はどう発展していくのか。その前に、このことによって我々はどんな事実が分かったのか。

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