死ぬことと見つけたり・ウクライナで戦死した台湾人

台湾

台湾ボイスの皆様こんにちは、林建良でございます。
11月2日、ある台湾人がウクライナで戦死しました。この台湾人は曽聖光(そせいこう)という台湾人で25歳でした。彼は台湾の原住民である阿美族の出身ですが、花蓮県吉安郷というところにあります。この吉安郷と日本は非常に縁のあるところなのですが、なぜなら日本政府による台湾への最初の入植地だったからです。この吉安郷は当時の日本統治時代は吉野村と言っていました。この吉野村を開拓するため、非常に大変な苦労したようですが、今でもこの吉安郷に行くと当時の日本統治時代に残ったもので、例えば、お寺とかがまだたくさん残っています。この日本と縁のある地ですが、この曽聖光はウフライナで戦っている戦友の1番親しい戦友が実は日本人でした。彼の死も日本人によって伝えられたようなのですが、実は台湾政府も11月5日になって、彼の戦死を確認しています。1人の台湾人が、なぜウクライナに行って義勇兵として、戦ったのでしょうか。今回のウクライナ戦争において、ウクライナに渡って戦っている外国人義勇兵は結構沢山います。おそらく数万人いると思いますけれども その中に日本人も数は少ないですが義勇兵としてウクライナで戦っている日本人もいるのです。この曽聖光の1番親しい戦友も日本人だったわけですが、実は10数名の台湾人がウクライナで義勇兵として戦っています。この曽聖光は高校卒業後に、台湾の陸軍に志願兵と入隊しているのです。5年間の兵役を経て除隊しましたが、この5年間で彼は陸軍の戦車部隊に所属していました。そして、ウクライナでも戦車部隊の義勇兵として、戦ったようです。現在台湾人がなぜウクライナで戦っているのかというと、この彼の戦死によって一体台湾にとっては、どんな意義があるのかという話をします。実は台湾にとっては、本当にウクライナという国は遠くて、ほとんど台湾と縁のない国です。もちろん台湾とウクライナとは国交も結んでいないし、お互いに代用所(4:26)を置いておくとか、そういうこともありません。だからウクライナ人、あるいは政府間の交流、経済的の関係は極めて希薄です。

ウクライナのために、今まで全く知らないところで戦うのは一体何のためなのでしょうか。実はこの曽聖光は自分のFacebookで、色々と自分の考え方とかを書いているのですが、彼はウクライナがロシアに侵略されているのかを見るだけでも、いても立ってもいられないと投稿しています。ウクライナ人の独立と自由のために、自分が戦わなければいけないということで、ウクライナに渡ったようです。彼はウクライナには今年の6月に渡って、今まで5年間の戦車部隊での経験があるわけですから、すぐに戦闘部隊へ配属されました。この彼の死が台湾に伝わって、台湾人はどのような反応をしたのでしょうか。ほとんどの台湾人は彼の死について、自由と独立のために戦っている勇士だと称えています。そして、彼の勇気、正義感、義侠心を非常に尊敬しているのです。

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