狡兎死して走狗烹らる・酷吏王岐山の末路

台湾

台湾ボイスの皆様こんにちは、林建良でございます。
習近平は第20回共産党大会を経て、かなりの権力を固めたと思われますが、通常これほどの絶対的権力を手に入れたのであれば、10年間で党内闘争とか、たくさんの敵を作ったりするわけですから、一般的に考えれば大体それほどの余裕が出てきます。それほどの余裕があれば、ある意味で党内の融和を図るという方針でやっていくように考えられるのです。だから、心を広くして党内の今までの権力闘争によって、傷ついた関係を修復するという一般人の考え方ですので、独裁者は、そのように考えていません。我々が特に中国の独裁者を判断する際には、一般人の考えだけで判断してはいけないのです。どのように判断すればいいかというと、独裁者の身になって判断しないといけません。この独裁者の身になって判断する場合は、この10年間で多数の党内の敵を粛清したり、牢屋に入れたりして、場合によっては死刑も執行しています。そして、習近平の独裁政治で被害を受けた人間は数百万人に上るわけです。この党内の幹部も家族も含めて、その関連する人間からすれば、当然、これは党内の団結にとっては非常にマイナス要因になっていて、独裁者の身からすれば、これほどの敵を作ったわけですから、手を緩めると今度は敵から報復される恐れもあると思っています。党内で数百万人程度の人間、しかも、共産党の内部の能力がある人間が不満を持っていて、彼らに融和的政策を取る場合は結局、彼らに力がついてしまって、今度は力のついた敵の方がより怖いのではないかと、独裁者なら思うのです。かつての毛沢東もスターリンもそうだったのです。権力を手に入れて、それから寛容的な政策を取っていく独裁者は基本的にはいないでしょう。

まさに習近平がそのようにやったわけです。習近平の権力をどのように固めてきたのか振り返ってみると、彼は2012年に共産党のトップの総書記になってから大々的にやったのは、実は反腐敗運動ですね 当時の反腐敗運動は確かに一般庶民にかなり指示されていました。なぜなら鄧小平の改革開放政策になってから、およそ30数年間は共産党の内部で、かなり腐敗しきっている状態だったのです。一般の人間から見れば非常に不満を持っていました。彼が腐敗運動をやる際には、一般の人間から見れば拍手喝采です。同時に彼がこの反腐敗運動によって、今まで自分の政敵は一掃したとも言えます。この反腐敗運動の計画者かつ実行者とは誰なのか?反腐敗運動は口で言うほど簡単ではないです。要は情報を集めても、相手も力のある人間ですから、どうやって相手を摘発するということは、様々な手段が必要です。頭を使わないといけません。1番の功労者とは王岐山です。王岐山は習近辺にとって、特に習近平の一期目の権力は2012年から2017年までの5年間の任期中で、習近平は間違いなく、自分の権力をそれなりに固めました。この1番の功労者である王岐山は、その後、習近平の2期目のときの王岐山の権力は全て剥ぎ取ったのです。王岐山に残されているポストは、中国の国家副主席でした。国家副主席と言えば、首席の次でナンバー2のように権力はあるように見えるのですけど、実はただのお飾りです。なぜなら、王岐山の共産党の内部のポストは基本的には何もありません。共産党の構成としては党が政府の上で、政府の国家副主席と言っても、党内のポストがなければ、何もならないです。しかし、王岐山は党内のポストがないけど、2期目の5年間は引き続き、中の重要会議に参加していたようです。この王岐山に習近平は2019年以降、あらゆる手段で側近から摘発するようにしました。本来の恩人ですけど、しかも王岐山は習近平との関係はものすごく深いのです。どれくらい深いかというと、1969年の当時、習近平は15歳で王岐山は20歳でした。当時は知識青年の下放政策というのがあったのです。つまり知識青年というのは、中学生から大学生までの人たちです。王岐山と習近平は、ほぼ同時に山西省の延安地区に下放されました。この延安地区に下放されて村は別でしたが、そのときから習近平は王岐山と知り合いになっています。

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